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自衛隊の基地や駐屯地は、旧日本軍が使用していた場所を受け継いでいる所が多いです。
航空機の滑走路がそのまま、敷地内の道路になっている事もあります。

陸上自衛隊 朝霞駐屯地と、航空自衛隊 入間基地にはそれぞれ士官学校がありました。
この画像は、朝霞駐屯地にある、陸軍予科士官学校跡地にある「振武台記念館」です。

建物自体は当時はここには無く、座間から米軍に解体される前に朝霞後へ移築された、
皇族の方の宿舎を記念館にしています。

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この地には元々、当時は東洋一と言われていた「東京ゴルフ倶楽部」があり、
朝霞駐屯地と隣接の訓練場とを併せて、コースになっていました。

朝霞は「膝折(ひざおり)宿」と呼ばれる場所でした。
昔、武将が乗っていた馬の膝が折れたとの言い伝えで、膝折となった様です。
様々な重要な地域への分岐点であり、道が膝(肘)などの折れ道だからという話もあります。

膝折という言葉が縁起が悪いため、東京ゴルフ倶楽部に関わりの深い皇族の、
「朝香宮鳩彦王」から「朝霞」へと地名が改められました。
同じ「朝香」では恐れ多いため、霞(かすみ)が良く出る地域という事から、
「朝香→朝霞」と字が変えられました。

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ちなみに、東京ゴルフ倶楽部では、ベーブ・ルースもプレイされました。

1941年に、日本陸軍予科士官学校を、市ヶ谷から移転。
首都本部に近くて広い土地として、朝霞が選ばれました。
この、陸軍予科士官学校には、韓国の朴槿恵大統領の父親、朴正煕も学ばれたそうです。

画像の資料館前の石柱は、当時の士官学校時の門柱で、
一枚岩を積み重ねて作られています。 造るの大変そうですね。

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太平洋戦争が終わり、予科士官学校跡地は、GHQにより接収されて
米陸軍の「キャンプ・ドレイク」が駐屯します。

その後、一時的に自衛隊も共同で使用しますが、全面的に変換されて今に至ります。

振武台資料館内には、当時の貴重な資料や、歴史などの説明が見られます。
士官学校で学ばれた方々の血判が押された、署名も展示されていて、息を飲みます。

屋外には、射程7kmの105mm砲「九九式十糎山砲」があります。
他にも、石碑や記念碑なども見学する事ができます。

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館内は撮影禁止ですが、陸上自衛隊 広報センターの管理となり、
休館日以外は、来館して申し込むと案内してもらえるツアーをやっています。

広報の隊員同行のツアーが、
11:20~12:15|13:00~13:55|15:20~16:15
自由見学ツアーが、
10:00~11:00|14:00~15:00
<広報センター りっくんランド振武台見学詳細>

無料で、歴史を知り・学べる貴重な施設なので、訪れてみて下さい。

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こちらは、航空自衛隊 入間基地にある「修武台記念館」です。
陸軍航空士官学校跡地に建てられています。

この綺麗な建物自体は新しく、2012年に建て替えられ開館しました。
陸軍航空士官学校本部を再現されています。

2012年以前は木造の資料館で、入間航空祭などで自由に見学できました。
現在は、隊員の教育を目的としているため、通常は一般の見学はできません。

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航空祭時には、修武台記念館前の展示航空機は見学できます。
規制線が張ってあり、記念館にはある程度しか近寄る事もできません。

2016年9月26日(月)に、入間基地の募集イベントに応募当選し、
館内を見学する機会がありました。

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隊員教育と借りている展示資料も多いため、館内は撮影できません。
しかし、航空機を展示している保管庫は撮影ができました。

多人数のツアーで、最初に1階のガイダンスシアターで、15分程の映像を視聴。
航空機発祥の歴史から始まり、戦争に気球・飛行船が使われ、航空機へと発展。

太平洋戦後、ジェット機へと発展して音速を超えて、冷戦へと移っていきます。
アメリカのF-86F、ソ連のMig-15が登場して開発競争になります。

ベトナム戦争が始まり、警察予備隊→保安隊→自衛隊へと変わり、
現在に至るまでの、とても理解し易い内容の資料映像です。

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館内には、悲しい歴史である、人間ロケット「櫻花(おうか)」を展示。
切断されて展示していて、構造や搭載爆薬の位置や大きさも分かりました。
1971年に切断展示され、日本では入間基地でしか見られません。

当時、陸軍航空士官学校だった頃に、昭和天皇が休憩する部屋「便殿の間」
の入り口扉の実物も展示されていました。

画像の窓は、当時の建物の物で、便殿の間の扉と窓だけ保管されています。
保管庫に窓は置いてあります。

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1996年には、千葉県 八千代市の田んぼから「二式複座戦闘機」が発見されます。
B-29に特攻して撃墜しますが、共に墜落して、そのまま埋まっていました。

発掘した残骸もバラバラの状態ですが、展示してあります。
軽量化され、薄い金属板でしたので、ブリキの様に薄い素材だった事がわかります。

資料館1階には、地対空誘導弾ナイキアジャックやVADSⅡが展示。
航空自衛隊創成期からの資料が多数あります。

画像の階段は、保管庫に何気なくありますが、
実は天皇陛下が入間基地で、C-1輸送機に搭乗する際に使用された物なんですって。
普通に登る事ができたので、言われるまで凄さに気が付きません。

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保管庫には他に、T-33A練習機の「アリソン  J-33-A-35エンジン」
が固定されて展示されていました。

記念館内にも、ゼロ戦の「栄11・12式エンジン」など戦前の物から、
F-86のJ47-GE27エンジン、T-4のE-3-IHI30エンジンなど戦後のものまで。

F-86D・F-104の射出座席もありました。

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この歴史的貴重な保管航空機は「アンリ・ファルマン」です。
1910年型で、徳川好彦大尉・日野熊蔵により飛行された復元機です。

1945年に、米軍に接収されてライトパターソン空軍博物館に収蔵されていました。
1960年に、日米修交100年で返還され、横田基地で組み立て・展示。

2008年までは、神田の秋葉原にあった交通博物館に展示されていました。

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本体は復元機ですが、プロペラとエンジン周辺機材は、
当時の物がそのまま搭載されています。

2015年には、アンリ・ファルマンの孫にあたる、
ピエール・ファルマン氏が修武台に来館して、本機の設計図を寄贈しました。

その時の、設計図と記念写真が館内には展示されていました。
時を越えて出会えた、とても良い話です。

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昔から、航空自衛隊を見てきた方々には懐かしい機体だと思います。
「V-107救難機バートル」の最終飛行機です。

展示保管される場合は、エンジンやの搭載装備は外されるのですが、
この機体は、エンジンなどそのままでの保管のため、整備すれば飛行できます。

しかし、退役した機体なので、段々と整備できる人材が減っているとの事です。
数年したら、整備技術や知識を持つ隊員はいなくなるでしょう。

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ローターブレードは外されていますが、隣に保管されています。
なので、飛べます。 何かの記念に飛行して下さい。

隣に見えるのは、もう1機の展示機です。

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「F-1支援戦闘機」の初号機です。
こちらも、最終飛行後、武装・エンジンなどそのまま保管しています。

F-2が配備される以前の支援戦闘機なので、
火力演習時に、F-1による対地攻撃を見た方もいるでしょう。

保管庫内は以上ですが、記念館内は実に多くの展示資料があります。

募集応募以外では基本的に見られませんが、
10人以上の団体の場合に、入間基地広報へ問い合わせると見学できるとの事です。
<入間基地 修武台記念館見学詳細>

自衛隊基地・駐屯地の歴史資料に触れて、
戦争を起こした事実と、これからの国防について考える時があっても良いと思います。




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