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茨城県の鬼怒川で堤防が決壊して、
常総市の5分の1が冠水する災害が起こりました。

前日から「線状降水帯」の影響で河川の氾濫が懸念されていました。

9日(水)16時10分に神奈川県庁へLO(連絡調整要員)が向かいます。

日を越して10日(木)1時に茨城県鹿沼市へも向かいます。

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3時30分には防衛省に災害対策連絡室が設置。

そこから宇都宮、勝田、練馬、大宮、習志野、相馬原の各駐屯地より、
LOが情報収集のために動いておりました。

夜中から早朝にかけて自衛隊は対策を行っていきます。

そして10日(木)9時5分に茨城県知事より、
勝田駐屯地の施設学校長へ災害派遣要請が出されます。

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駐屯地から先遣隊となる「FAST-Force」約20名が駐屯地を出発。

その間に11時前後で堤防が決壊した事で、
多くの住民たちが住宅などに取り残されます。

11時38分には相馬原駐屯地からUH-60JAが4機離陸します。

立川駐屯地からもUH-1J(映像伝送器付)も離陸して、
情報収集を行います。

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陸上自衛隊に留まらず、
航空自衛隊 百里基地の航空救難隊も救助へ向かいます。

航空救難隊のUH-60Jが2機、救出活動を開始します。

後に浜松基地からも救難隊が向かっていきます。

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航空救難隊の飛行展示を見学された方はご存知と思いますが、
UH-60Jと共にU-125A救難捜索機も行動します。

ヘリよりも高速で移動できるジェット機により、
先に要救助者を発見します。

茨城の災害現場でもヘリの上空に旋回して、
航空救難隊のUH-60Jと同数飛んでいました。

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航空機による救助活動を行いながらも、
その後の捜索や救援活動へ向けて多くの隊員達が現場へ向かいます。

各駐屯地から茨城県の古河駐屯地へ向かっています。

そこを活動の拠点として動いていた様です。

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陸上、航空自衛隊のヘリが救助活動を行っていましたが、
一分一秒を争う状況のため海上自衛隊からも出動しました。

14時58分には海上自衛隊 館山航空隊から、
SH-60JUH-60Jが1機ずつ離陸しています。

こちらのSH-60Jは海難救助を行う航空機です。

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船舶で被災された方でないと、
なかなか出会う機会は少ないと思います。

河川の氾濫で出動するのも珍しいと思います。

それだけ異常で緊急を要する事態が起きたという事です。

後から救難機US-2が所在する、
厚木航空基地からもSH-60Jが向かっています。

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10日だけで人員約440名、車両約160輛、ボート約45隻
派遣されました。

各自衛隊の航空機だけでも25機が活動しておりました。

それに警察、消防や防災ヘリが救助を行っていました。

ヘリは夜は活動できないという報道をする所もありましたが、
自衛隊は天候や日照条件に関係なく活動を行えます。

機体の性能だけではなく、
日々の訓練の積み重ねがあるからこそ行えるのです。

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11日(金)、12日(土)と救助活動は行われていますが、
段々と救助から救援へと変わっていきます。

水タンク車や水トレーラーが多く派遣され、
給水活動や入浴支援なども開始されていきます。

今までに約2万リットルの給水が自衛隊では行われています。

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東日本大震災を教訓に各機関の連携がスムーズに行えたのも、
素晴らしい事だと思います。

その教訓が最初に見られたのは「広島の土砂災害」でした。

あの現場には警察、消防、自衛隊が同時に活動していました。

御嶽山の捜索活動でも同じことが言えます。

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常総市の市長が避難指示を一部にしか出さなかった事が
問題視されていますが、そこが重要ではないと思います。

市町村や国から指示がないから大丈夫だというのは、
東日本大震災の教訓が個人で活かせていない事になります。

自分の住んでいる地域の事をもっと理解して、
生活しなければいけません。

鹿児島の方達は桜島と共存して生活しています。

鬼怒川も「鬼が怒る川」という名前なのも、
先人が知恵から来るのかもしれません。

個人個人で防災をもっと意識して生活していくことが重要です。





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